つらつらと、つらつらと

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【読書メモ】逆説の日本史17

本書は日本史を教科書とは違った視点から読み解くシリーズの1冊。

今回は江戸中期から末期までを解説している。

章立ては以下の通り。

第一章 アイヌ民族のルーツと展開編

第二章 国学の成立と展開編

第三章 幕府外交と天保の改革

第四章 ユートピアとしての江戸論

 

アイヌ民族との歴史は学校で詳しく習った記憶がないので、新鮮で興味深く読むことができた。

この中で自分的に引っ掛かったのは、第一章の以下の内容。

松平定信という人物は、(中略)アイヌについて彼らを「夷(えびす)」とみなしていた。(中略)正確に言えば「人間だと思っていない」「動物扱い」と考えた方が正確である。

一方、青島俊蔵も、その「一の子分」の最上徳内も「アイヌは人間だ」と思っている。だから、彼らの中に入っていき、一緒に酒を飲み、歌って踊る。当然、アイヌ語についても学ぼうとする。それは文化にも関心を持つと言うことだ。

一方、松平定信はそんな考えは毛頭ない。理由はただ一つ「動物には文化などない」からだ。どちらが、アイヌを人間として尊重しているのかと言えば、それは言うまでもなく俊蔵・徳内の方であって、定信ではない。

では、アイヌにとって、アイヌ民族全体にとって、俊蔵・徳内の考え方と、定信的考え方と、どちらが望ましいだろうか?

(中略)

しかし、私の考えは違う。

「むしろ、定信的考え方の方がいいかもしれない」と思うのだ。

ここに実は日本史最大の「逆説」がある。

(P147〜148)

長文引用してしまったけど、相手の文化・考え方を尊重するのがいいのか、そうでないのか、筆者は問題提起している。筆者は民族文化を守るためには、松平定信的考え方が必要と言っている。

俊蔵・徳内の考え方の延長線に「同化政策」がある。これは、

「異民族」を「日本人」にするということことだ。

(中略)

するとなにが起こるか?

「差別がなくなる」のである。(P152)

「差別」の根拠となる"違い"を無くすのであるから、「差別」化ができなくなり、結果「差別がなくなる」と言うことになる。

同時に相手の民族文化を破壊することになるわけだけど、それを理解して言っているのか?が問題だと思う。

 

日本はこれから若年世代が減少し、それに伴い労働者人口も減少する。その対策の一つとして移民受け入れが話題になっているけど、この論理でいくと、よくよく慎重に考えないと、日本人の良いところが失われてしまう可能性をはらんでいるよね。

もし移民を受け入れることになるなら、良い日本文化を残しつつ、外国の人たちと自然に共存できる方法を実現しないとね。

まあ、"良い"日本文化がなになのか?が、人それぞれで、これはこれで大きなテーマだけど。